12月 24th, 2012|ブログ|

 今日の記事は、事務所近くで発掘調査が行われていた聚楽第跡の発掘調査現地説明会のレポートです。豊臣秀吉造営によるこの聚楽第跡は、秀吉の栄華を示す貴重な歴史的資料とのことです。本日参加できなかった皆様にお楽しみ頂ければ幸いです。

画像資料

石垣

聚楽第の石垣
 ※この石垣は、西側から(東側を向いた状態で)撮影しています。

金箔瓦

金箔瓦
金箔瓦
金箔瓦

現地担当者と配付資料による解説の要約

 今回見学できたのは、聚楽第本丸南側の東西に伸びる石垣約30mと石垣に隣接していた南堀です。
 調査平面図によると、本丸南堀の西端近くから東に伸びており、東端は南の大手門近くであったと考えられているそうです。
 石垣に用いられているのは自然石の花崗岩で、銀閣寺付近、比叡山周辺、滋賀県大津市南部の田上山が考えられているとのことです。
 石垣に用いられている石のサイズは、西側ほど小さめで、東端の大手門近くと考えられているあたりでは、西側の3倍から4倍のサイズの石が使われており、これは、門を通って行き来する人のことを考えてのことだと言うことです。
 石垣は綺麗に傾斜しており、その傾斜は約55度で、安土桃山時代の石垣の特徴と言えるそうです。石材と地山の間には、石垣を安定させるために栗石が丁寧に敷き詰められています。名古屋市博物館が所蔵する文献資料によると、京都所司代の前田玄以が、鴨川の河原の栗石を聚楽第に届けるように命令した文書が残っているそうで、この栗石が用いられている可能性があると、説明会資料には記載されています。

周辺の名所等

 今回説明会があった聚楽第跡から徒歩5分のところには、秀吉が茶会で使ったと言われる「梅の井」の跡があります。また、梅の井から2分の処には、映画等にも登場する「長者湯」という銭湯があります。何度か道を聞かれたことのあるカフェ「綾綺殿」もこのあたりです。

おわりに

 この現地説明会は当日限りとなっており、再び京都府警の待機宿舎が建てられるため、現状を見学する機会はもうないと言えます。
 この本丸南堀の大手門は徳川家康や伊達政宗、前田利家が利用したと考えられるそうです。子どもの頃に遊んでいた公園のすぐ傍を戦国時代の英雄どもが通っていたというのは歴史のロマンですね。

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