1月 15th, 2013|ブログ|

 今日は、黒田如水邸と出世稲荷という、豊臣秀吉にゆかりある京都のロケーションから、京都の「文化財」保護について考えます。

黒田官兵衛の名残

 黒田孝高、通称官兵衛は、戦国時代のファンであれば誰もがその名を知る名将ではありますが、一般的に知名度が高いとまでは言えません。
 豊臣秀吉を支え、後に九州から天下を目指したその生涯は、司馬遼太郎氏の小説、「播磨灘物語」で読むことができます。
 官兵衛は、出家して「如水」と名乗り、関ヶ原の合戦後、京都市上京区の猪熊一条を西に入ったあたりに住んでいたとされており、その付近は「如水町」ととても奥ゆかしい町名がついてます。

旧黒田如水邸の現在

 黒田如水邸があったとされる場所は、5~6年前までは京都らしい町屋のまま残っており、何かの書籍で庭は当時のまま残っていたと書かれていたと記憶しています。
 ところが、その旧邸は、もうありません。代わりに建っているのは、京都らしさをなくす都市開発の象徴とも言えるような、専用通路を引き込んでマッチボックスを建てたように並んでいる戸建て住宅群です。今では、「黒田如水邸跡」という石碑が、肩身狭そうにひっそり立っているのみです。

出世稲荷跡地はマンションに

 千本旧二条にあった出世稲荷も豊臣秀吉にゆかりある神社です。もとは聚楽第の中にあったとされていますが、1663年に千本二条に遷座しました。当時においても、お寺や神社の引越は希なことではなく、京都の社寺の歴史を読むとよく目にします。
 その出世稲荷が、資金難によって左京区大原へ移転。今では、市バスの「出世稲荷前」という停留所名が空しく残るのみとなっています。

京都は何を残していくべきなのか

 この二つの事例が語っていることは、ごくシンプルです。

世の中、結局お金だよ。

 文化財保護、町屋の再利用、ミクロにおいて京都市では様々な「京都」としての取り組みがなされています。けれど、それらに本当の意味での「哲学」はあるのか、我々は常にそれを考えなければならないのではないか、と僕は思います。
 名前の通った古い建物だから残しておく。歴史はあっても建造物に文化財的価値がなければ移転して跡地がマンションになっても構わない…これで京都の町並みを守っていくことができるのでしょうか。開発者側は、お金を積んで買取さえすれば、あとは経済の原理に従って利潤最大化だけを追求すればいいのでしょうか?
 お金がなければ市が融資すればいい、と思うのは安直な考え方でしょうか?京都市民として、出世稲荷に高利で貸し付けろとは思いません。無利子でいい。無駄な公共事業にお金を使うなら、無利子でいいから融資して、1600年代からある神社を守ることの方が僕にはよっぽど大切に思えます。
 もちろん、自助努力は必要だと思います。その努力を、官民一緒にやっていける枠組みがあってもいいのではないでしょうか。

 NHKでは、2014年の大河ドラマで官兵衛を主人公にするそうです。その名も『軍師官兵衛』。岡田准一氏主演、僕も今から楽しみにしています。大河ドラマの効果は大きいので、晴明神社にほど近い如水邸跡にも少なからぬ人が訪れることでしょう。
 門前が市をなすほどに賑わったと伝えられる如水町を歩き、「黒田如水邸跡」の石碑の前にたった人達は、一体何を思うのでしょう。

 水の如しと称した黒田官兵衛孝高の言葉が、知られています。

「我 人に媚びず 富貴を望まず」

 如水邸跡に足を運ばれるのであれば、このコトバと一緒に歩かれてはいかがでしょうか。

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